原発現地E

1:原発ってどこにあるの?

■六ヶ所村■
2:核燃サイクル基地とは?
3:開発計画と村人のたたかい?
4:核燃計画と反対闘争
5:六ヶ所村のこれから


■上関原発■
6:上関原発ってどこにあるの?
 そこにどうして原発計画が?

7:問題点1、祝島の場合
8:問題点2、自然保護の立場から
 問題点3、地震と防災、そして軍事基地

9:問題点4、用地と漁業権の問題

   上関の場合 @


<上関原発って、どこにあるの?>

Q 「上関」は、「かみのせき」って読むんだね。どこにあるの?

A 地図を見て。山口県の瀬戸内海に面した小さな島の先よ。



Q 瀬戸内海といえばきれいな海や水産業で知られているね。

A その通り。戦後、工業化によって汚されてしまったけれど、ここ上関周辺は、珍しく本当にきれいなまま残っているの。「聖域せいいき」って言われるくらい。写真で確かめてね。



↓ 祝島上空より、田ノ浦:上関原発建設予定地方面を望む。



<そこにどうして原発計画が?>

Q そんなところに、なぜ原発の計画が出てきたの?

原発建設予定地: 田ノ浦

A 年表を見ると、「1982年6月、山口県熊毛くまげ郡上関町に原発計画が持ち込まれる。」とあるわ。

 計画したのは中国電力。国も国策として強力におし進めようとしたの。でも、実は、六ケ所の時もそうだったように、それ以前に、一般の住民に何も知らされていないことが問題なの。

 中国電力では、島根原発を建設した後、次の予定地を必死でさがしていて、県内の豊北町とよきたちょうなどで住民の激しい反対運動にあい、計画が立ち消えになっていたの。だから上関に白羽の矢しらはのやを立てた:多くの中から特に選びだされること ときには、どうしても「地元が希望して」建設するかたちにする必要があったのよ。だから早くから町の幹部たちを施設見学に招待しょうたいするなど、お金で買収して大変だったんですって。それで1982年、町長が前向き発言をしたわけ。一般の住民には寝耳に水よ。ねみみにみず : 突然の出来事でおどろくこと


<町内の対立>


Q それで上関の人たちはどうしたの?

 推進派の人々は「こんなに何もない、さびれたところに原発がきてくれて、お金を落としてくれるんだから。」と言う。
 反対派の人々は「こんなにすばらしい海や土地があって、助けあえる仲間がいるのに。」と言う。

 今生活している土p $方が全くちがうのね。それが真っ正面からぶつかり合うのが町長選挙のときで、それこそ親類縁者しんるいえんじゃでも対立してたたかうの。

Q 選挙の結果はどうなの?推進派が勝つんでしょ?

A そう、たしかに。でも、1982年に原発の話が出てから推進派が55%パーセント前後、反対派が45%前後という数字はあまり変わらないわ。
 それに2000年の朝日新聞社の世論調査よろんちょうさでは、上関町で賛成が33%、反対が46%、答えないが21%で、反対派の方が多いのよね。本音はどちらかしら?



   
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