原発現地C

1:原発ってどこにあるの?

■六ヶ所村■
2:核燃サイクル基地とは?
3:開発計画と村人のたたかい?
4:核燃計画と反対闘争
5:六ヶ所村のこれから


■上関原発■
6:上関原発ってどこにあるの?
 そこにどうして原発計画が?

7:問題点1、祝島の場合
8:問題点2、自然保護の立場から
 問題点3、地震と防災、そして軍事基地

9:問題点4、用地と漁業権の問題

   六ケ所村 その3
<核燃計画と反対闘争>

Q それで、問題の核燃の計画は?

A それがね、農民を追い出すようにして空けた広い土地は、その後荒れほうだいになってしまったの。オイルショック(石油の値上がりで企業の経営がくるしくなること)で、臨海りんかいコンビナートはできなかったんだ。ただ一つ出来たのは国家石油備蓄びちく 基地だけ。

 そして、年表には1984年に突然(?)「電事連でんじれん電気事業連合会)、むつ小川原核燃料サイクル基地建設構想きちけんせつこうそうを発表」となってるのよ。
 実は、突然のようだけれど、よく注意して年表を見ると、1970年に「青森県知事、小川原地域に原発施設建設と発表」とあるのに気付くわ。それよりもっと前から国や財閥ざいばつは目をつけていて、ひそかに準備していたようね。


Q で、村の人たちはどうしたの?

A 当時のアンケートを見ると反対意見が7割以上をしめているわ。
 特に、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故の影響は大きかったの。子どもを持つ女性たちや、それまではむしろ国や知事よりだった農民までが、原発について学習し、県の農業協同組合も圧倒あっとう的多数で「核燃施設建設拒否きょひ」を決めていたわ。その燃え方は、1989年に核燃反対を主張しゅちょうした農民が参議院の選挙で圧勝するほどのいきおいだったのよ。

 また、漁業協同組合ぎょぎょうきょうどうくみあい も、海域調査(工事を進めるために海を調査すること)で漁業があぶなくなると、船をならべ体をはって抵抗したのよ。機動隊きどうたい や海上保安庁ほあんちょうの実力行使で、まさに“海戦”のようだったと、ある漁民は当時をふりかえっているの。


Q 大切な農地や漁場が、こうして失われて核燃基地が作られて行ったんだね。

A そう。国は、住民が反核燃で燃えていた1988年にもう、それを無視して、ウラン濃縮施設のうしゅくしせつ の事業を許可していたの。住民の抗議こうぎ 行動が続く中で、工事は次々と進められてしまったのよ。住民の気持ちがわかる?







Q いまは、4つの施設は出来てしまっているんだろう? 「死の灰」と共に暮らさざるを得ない人々は不安だね。

A そうなの。それに、特に再処理工場は、1日で原発1年分の放射能を出すっていうし。まだ技術的に未完成で、危険この上もないのよ。




   
     もどる    はじめ とじる   つぎへ →No. 1: 2: 3: 4: 5: 6: 7: 8: 9: